2008年1月12日土曜日

第5講 函館と唄

 「はこだて讃歌」を、先日唱う機会があった。

♪誰かに住む街 聞かれたら
はい 函館と答えます
明るく胸はり答えます
親子みんなが住みついて
命かけたい海の街
そんな街です そんな街です 
はこだて

という歌詞であるが、作詞は前川和吉、作曲は廣瀬量平という重厚な楽曲である。
函館っこには、たとえば高校の合唱祭で歌うとか、ごみ収集の際に流れる曲がこれだとか、ある意味生活にしみこんでいる楽曲でもある。

ところで、函館は意外に唄の舞台にもなる街でもあり、函館を題材に様々な歌謡曲などがヒット曲となっている。たとえば、北島三郎の「函館の女」とか、森昌子が「立待岬」などという楽曲があげられる。ただ、こういったいわば「ご当地ソング」とは別に、函館は様々なところで「うた」としてその舞台を提供しているのだ。

 たとえば、これは唄というのかどうかわからないが、あえて、短歌も「唄」とするならば、古くは石川啄木が函館を唱っている。また、与謝野鉄幹、晶子夫妻も立待岬に歌碑を残している。
 卑近な例で言えば、GLAYの楽曲の中にも、基本的に「函館」が舞台である情景の唄があるのは、至極あたりまえのことであり、彼らが函館で過ごしていた時間があるという証左でもある。


 昭和の大ヒット「酒は涙か溜息か」は、函館生まれの唄である。作詞した高橋掬太郎は、函館日々新聞社の記者で、大正年代、北海道では一番の盛り場だった函館の「銀座通り」(今で言えばススキノというべき位置)で連夜遊んだ彼は、「酒は涙か溜息か、男のうさの捨てどころ・・」
という詞をしたため、これが古賀政男によって楽曲化され、昭和6年、藤山一郎の唄によって空前の大ヒットになった。この後、掬太郎は上京し、作詞家として数々のヒットをだし、「ここに幸あり」など3000曲以上を手がけた大作詞家となった。高橋掬太郎の歌碑は、このように建てられているが、同様にご当地ソングではないがまちがいなく函館でのことだ・・・。と感じられる「GLAY」の歌碑というのは建つことがあるのだろうか・・・。

 GLAYゆかりの「ラッキーピエロ」は繁盛しているが。
にほんブログ村 地域生活ブログへ