2008年1月14日月曜日

第6講 西部地区の洋館①~相馬株式会社近辺







文久元年来箱、文久3年(1863)弁天町に米穀商を開業した相馬哲平(初代)は、箱館戦争時に米穀で巨利を得、明治5年に米穀から海陸物産・土地投資・金融業へと事業を広げた。明治32年(1899)浜屋平塚時蔵の店を買い、現在の場所に移った。
 なお、この地は明治はじめまで「箱館産物会所」(箱館奉行直属の水産物売捌所。前直轄時代は寛政11年(1799)から、後直轄時代は安政4年(1857)から再々名称変更後明治5年に閉鎖)、「交易会所」(箱館開港後、密貿易を防ぐため会所で取引させた)のあったところである。
 明治40年の大火で焼けたが仮店舗で営業を続け、明治43年から大正5年(1910~1916)にかけて順次新築し現在の姿となった。木造2階建てながら、ルネサンス式石造りの感じを出し、土蔵商家建築の多い大町の中では珍しく、明治の函館らしい雰囲気をもっている。

この建物の電車通り斜め向かい(大町1)に大町郵便局があった。明治43年(1910)大町・弁天町・鶴岡町・西川町・若松町・春日町・旭町・亀田に「郵便受取所」を設けたときの建物(明治44年)で、当時の函館の中心近くにそのまま残されている明治洋風木造建築の一つであった。
 
 函館市の伝統的建造物の一つに指定されていたが平成元年(1989)12月建物維持の問題から、無届けで取りこわされた。このことから函館市景観条例の構造的欠陥が露呈し問題となった。



 なお、付近に新たに建てられた新大町郵便局は、外観を旧大町郵便局のイメージを取り入れた洋風の感じにしている

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